ヒキガエルの旅立ち

 1昨日から降雨があり、池のヒキガエルも池から脱出して雲散していった。

昨日は職場から帰ると、家の敷地内に子ガエルがうろうろしていて歩く場所がない。それが小さいので踏みつけないように歩くのが大変である。

 今朝も敷地内をうろうろしているが、本日も雨なので本日中に分散していくのかな。

ヒキガエルの上陸

 我が家のヒキガエルも脚が出てきていよいよ上陸の時期を迎えている。

しかし、乾燥が続いているので、小さな個体では耐えきれないだろう。

ということで、池の縁で体を濡らしたままじっと耐えているようです。

 梅雨に入れば上陸するかな。

呆れたこと

 世は、賭けマージャンで持ちきりである。

そもそも、マージャンをやったことのある人の中で、賭けマージャンをやったことのない方はごく稀なのでは。

私自身はマージャンをやらないので、当然賭けマージャンもやったことは無いが、知りうる限り、知人たちは賭けマージャンをやっていた。

なんか、人を陥れるために些細なことを掻き立てるのは醜い行為にしか見えない。

ホトトギス

 早朝より、ホトトギスが鳴いていた。今年の初鳴きですな。

いよいよ夏ですな。

築地 北島商店復活

 築地の北島商店が復活したのと報道がありました。

よかったー。常連ではないけれど、築地に行く度に寄っていたので。

 近所の店で買えるものは当然近所で買いますが、北島商店には「コア」な商品がいっぱいありますからな。

ここでしか買えない定番商品がありますので大変喜んでいます。

1978年の時刻表 その8

 連休最終日。このシリーズも本日限りかな。

 鹿児島本線の鹿児島寄りを見てみます。

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 幹線である鹿児島本線ですら、優等列車ばかりで、普通列車はほとんどありません。都市間交通ということでしょう。ここでは、西鹿児島発鹿児島交通線経由の枕崎行が走っています。

枕崎にて国鉄と鹿児島交通の直通運転は無かったようです。

 次は、山野線、宮之城線、佐賀線の3廃止路線です。

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佐賀線には、筑後川に架かる可動橋が有名でしたね。現在も観光用に使われているようです。

次に、鹿児島本線の折尾駅です。

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小倉方面から筑豊本線に乗り入れる列車は、折尾駅を通らない短絡線を通過するので、折尾駅での乗車はできませんでした。現在は短絡線にも駅ができましたので乗車可能です。

 続いて、添田線です。

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 営業係数のトップにも立ったことのある路線です。この路線の特徴は、日田英彦山線の香春から添田までの短絡線となっているところです。香春を先に出た日田彦山線の列車より、添田線の列車のほうが添田着が早くなります。

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 その他に、添田線と田川線は路線がクロスしていますが、クロスする場所に駅がないため、乗り換えができません。篠栗線と香椎線にも同様の箇所があります。どれも炭鉱や鉱山の輸送のためつくられたため、乗り換えは考慮しなかったのでしょう。

1978年の時刻表 その7

 山陰地方に行ってみましょう。

山陰本線には、紀勢本線と同じように普通寝台列車が走っていました。

名称は「山陰」、京都から出雲市です。

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 こちらも、長い旅ですな。これ以外にも長距離列車は数多く走っていたようです。

 山陰本線といえば、全国で一番早い始発列車がありました。

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 滝部3:29発の列車です。もうこの列車は無いようですが、当時は客車列車であり、滝部にて夜間滞泊でしたので、滝部で着回しをしたのでしょう。

 この列車の需要は行商なのかもしれませんね。

 滝部駅のすぐ京都寄りには「特牛」という珍名駅があります。「こっとい」ですね。

 

 

 

1978年の時刻表 その6

 旧国鉄時代には、連絡船航路が何本かありました。

有名どころでは、青函連絡船、宇高連絡船、宮島航路あたりでしょうか。その他にも、関門海峡にもあったというのは至極あたりまえのことです。

 ここに上げた仁堀航路は宇高連絡船が国鉄の四国の東玄関口なら、仁堀航路は西の玄関口というはずなのであろうが便数少なすぎます。

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一日3往復じゃね。船の大きさも、宇高連絡船は3千トン強、仁堀航路は400トン。

連絡する国鉄の駅は、本州側が呉線の仁方

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四国側が、予讃線の堀江

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失礼ですが、どちらもパッとしない駅です。どちらの駅も港まで徒歩10分程度。鉄道の輸送は無し。廃止は止む無しのような気がしました。

 次に内子線です。

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元々は伊予大洲(元々は五郎からかな)から内子までの盲腸線でしたが、予讃線の向井原からの短絡線が開通したため、現在は本線扱いとなっている路線です。ということで、列車本数も増えて万々歳の路線なわけです。

1978年の時刻表 その5

 紀勢本線に行きます。紀勢本線は名古屋から和歌山まで、名古屋からが下りになります。

こちらには、普通列車に寝台車両を連結した列車が運行されていました。

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列車名は「はやたま」です。ついさっきまで、「はたやま」だと少年の頃から思っていました。何故「はたやま」なのか。ついさっき解決しました。「はやたま」=「速玉」なのですね。

 「はやたま」のすぐ後続で急行の「きのくに」が走っていますが、「きのくに」の終点新宮まで普通列車が先行しますので、急行に乗らなくても良いんじゃない。

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 次に、芸備線です。備後落合という交通の要衝があり、しっかり夜行列車もあったのですが、現在は見る影もなし。備後落合駅と道後山駅には行ったことがあります。

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 続いて、木次線。スイッチバックで有名な出雲横田があり、しっかり夜行列車も走っています。今じゃ路線維持も風前の灯火なのでしょうか。

1978年の時刻表 その4

 次に、横浜線を見ます。

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 見て、すぐわかると思いますが、タイトルの八王子が八王寺になっています。列車のダイヤは根岸線直通列車がほとんどないことですかね。

 当時の横浜線は単線区間が何か所かあり、遅延が発生しやすく根岸線への乗り入れが不安定だったのかもしれません。

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 次に、廃止路線の清水港線です。見事に朝夕の1往復しかありません。廃止前後だと思うのですが、清水を訪れたときに、客車が留め置きしてあったのを見た記憶があります。

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 続いて樽見線です。第三セクターになり、樽見まで路線延長になっています。

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 飯田線です。駅間が短いので時刻表が長くなります。

急行伊那路8号は上諏訪発美濃赤坂行です。ここでは美濃太田となっていますが、完全な誤植です。

上諏訪の方が、美濃赤坂と言ってもどこだかわかりません。こちらも現在では考えられないような運行形態です。

 ちなみに美濃太田に行くには太多線か高山本線を経由しないと行かれませんが、双方とも非電化路線なので、飯田線の電車は行くことができません。

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